ドルオタでゲオタの叙情詩

二次元も三次元も好き。K-POP中心に割と幅広く。Twitter→epika_high

12月18日


ここにまた書きに来るとは正直思っておりませんでした。
twitterアカウントも消し、ネットから離れ、私生活では良いパートナーに恵まれ、意外と健康な生活を送っております。
わたしの書いたジョンヒョンソロコンの記事のPV数のお知らせがメールで届き驚きました。わたしという1ファン目線ではありますがジョンヒョンの人となりを少しでも知ってもらう事が出来、複雑ながらも嬉しい気持ちで居ます。
twitter上で紹介して頂いた方、RTしてくださった方、閲覧してくださった皆様、本当にありがとうございます。

2017年12月18日、新しい年を迎える前にジョンヒョンはこの世を去りました。
年末のその出来事はSHINeeWorld、それ以外のK-popファンだけでなく沢山の人に多くの衝撃と悲しみを与えたと思います。
わたしはパニックでした。
たまたま休日でネットをしながら友人とLineで話をしていた時に、

ジョンヒョンが!ジョンヒョンが!

と慌てた様子の友人に身体の震えを抑えながらtwitterを開きました。
飛び込んできた文字列の意味がわからず、泣く事も叫ぶ事も出来ず頭の中が真っ白になって、悪い夢だ、これは悪い夢だと繰り返し自分に言い聞かせ…
結果、何も信じる事が出来ないまま公式の発表を読み、流れてくる文字を追いました。

遺書?遺影?喪主?葬儀?遺作?

どの言葉もピンと来なくてフワフワと宙に浮いているようで、受け入れようとすればするほど涙も声も出て子供のようにワーワー泣きながら頭を抱えて、青白いメンバーの顔を眺めた日。
疑問と、怒りと、悲しみと、諦めと、それでもジョンヒョンを置いて時間は流れて、私たちは仕事をしなければならないし、ご飯も食べて眠らなければなりません。
その日々が苦痛でした。今もそうです。
面白いものを見て笑ってる自分、美味しいものを食べて満たされている自分。
もうジョンヒョンは笑うことも無いし、美味しいものを食べる事もない。
わたしが楽しかったと思っていたライブの日にジョンヒョンはどんな感情でその場に居たんだろうか。次が楽しみ、これからも、そう思っていたわたしの、わたし達のファンとしての期待が彼を傷つけてのしかかっていたのではないかという罪悪感。
仮に何かが違っていたら、だとしてもただのファンが何をしてあげられたのか。
寝る前は今でも毎日のように考えます。この感情が癒えていく事すら怖いと思います。
きっとわたし以外にも同じように日々を過ごしている人もまだたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

ただそれでもわたし達には希望がありました。
SHINeeが公演をするというメンバー達からの手紙。
隠すこと無く戸惑いや悲しみ、不安をも綴った手紙。
苦しくて苦しくて、一度に全て読み切る事は出来ませんでした。
ただ、SHINeeは生き続ける、という事が嬉しくて、4人に、事務所の方々に、スタッフの皆さんに心から感謝しました。
結局わたしは東京ドームに行けなかったんですが(最後の最後に行きたくなって申し込んだけど当たらなかった)(もう一度言いますが当たらなかった)レポを読んでまたわーわー泣きました。
みんな辛いんだと目の当たりにした気がして。でもそれは勇気です、希望でした。
泣こうが笑おうがジョンヒョンが生きれなかった今日を生きて、終わりのその日にSHINeeっていう素敵なグループのおかげでわたしは幸せだったと言いたい、そう思います。

あの日から、友達のジョンペン達と幾度となく言葉を交わしてきました。

「ご飯食べた?」
「少しでも寝なきゃダメだよ」
「苦しかったら泣いちゃえ、泣いたら疲れて寝るでしょ(笑)」

ジョンが優しかったから、わたし達も優しくなれているんだと思います。
ジョンが与えてくれたくれたものはずっと生きています。

未だもがき苦しんでいるジョンペン、SHINeeメンバー、関わる全ての人に少しでも安寧が訪れますように。ついでにわたしにも。

 

今日もあなたが大好きです。