『強そう』という概念。
多分ピンと来ないであろう話をする。
この話がなんとなくでも通じる人は、元々二次元のオタクか中二病が治っていないかの二択かと思われる。
わたしはその両方だ。
この記事内で言う『強そう』とはけして「ガタイがいい」とか「喧嘩が強そう」とか「気が強そう」のような現実の話ではない。
分かりやすいようにザックリ言うと、北斗の拳のような世紀末の世界の中、SMEの美青年達が屈強なモヒカンのような奴ら相手にスマートに戦った場合にどうかというファンタジーの話である(※そういう映画と思ってくれればいい)
例えば東方神起なんかは、目だけで相手の動きを止める事が出来るレベルだ。
屈強なモヒカンは思うのである『な、なんだこの威圧感は…!こ、この俺がこの程度の相手にビビっているだと…!?』とか。
そうこうしているうちにコンマ数秒の間にひでぶしているのだろう。
SHINeeはテミンが最強である。
しかし普段は普通に戦えはするものの(中の下レベル)お兄さん達に守られているのでそれを発揮する機会はそう無い。
しかし創竜伝を読んできたわたしとしては、末っ子は可愛く華奢で潜在能力はトップであると信じて疑ってはいない。
つまりテミンは余くんタイプだ。わかる人だけわかってくれればそれでいい。
オニュはニコニコ笑いながら「こういうの疲れるから苦手なんだけど」と言いつつ、真顔になるとクソ強いタイプである。
あのデコピンを決める瞬間の真顔を思い出してもらえればいい。
キーちゃんも強いが積極的に戦おうとしないので、基本的には武闘派っぽいジョンヒョンとミノが片付けてくれるだろう。
次に昔はザコだったはずのSuperjuniorについて触れたい。
彼らは昔は弱かった。二集の頃くらいまでは「弱いっすけど数いるんでなんとかなってきました、あとは話術」みたいな顔をしている。
しかしわたしはSS6を見に行った時に、オープニングでドーンとメンバーが出てきた瞬間、友人と二人で「やべぇ!強そう!!」と歓喜の声を上げた。
そう、彼らは変わったのだ。
中心にいるのはリーダーのイトゥクである。
彼は戦いには参加はしない。
しかしメンバーを統率出来る人望と優しさがある。リーダーの方針に従ってメンバーはどんな相手でも殺さないという約束の元で動いている。勿論それが自分たちの首を締める事になる時もあるが、彼らはそれでいいのだ。何故ならリーダーが言う事を信じているから。
非戦闘員のイトゥクだが、実は一つだけ大技を持っていて、いざという時には必ずメンバーを守る事ができる。が、この技は自分の生命力を犠牲にする。だから彼にしか出来ないのだろう。
冒頭に言った通りこれは単なる空想で幻想で妄想だ、細かいことは気にしないように。
かつてはザコであったはずのウネは蝶のように舞い蜂のように刺し、カンイン、シウォン、イェソンあたりも安定して強そうだ。
Superjuniorもこの世界で生き残ることができるだろう。
一方EXOで言うとザコ感があるのはビーグルラインである。
チャニョルは如何にも戦闘に向いてそうな火の能力を持っているという公式設定があるにも関わらず弱そうだ。
「焚き火すっから焼き芋食おうぜーがははは!」くらいの使い方しかしなさそうである。
ベッキョンは光の能力だが、これは元々戦闘に向いているかは不明な為、わたしの中では目くらまししてる間に逃げる、という戦法をベクに是非オススメしたい。逃げ足は早いと思う。
チェンに関しては多分「本気を出せば滅茶苦茶強いタイプ」と思われるが、普段はザコ顔で戦いを避けている。きっと何か理由があるのだろう、笑顔の裏に悲しい過去的な何かが。
一方わたしが考える強そうなEXOメンバーは、カイ、レイ、シウミンである。
カイちゃんは多分生まれながらにして戦闘技術を叩き込まれてきたエリートだ。それ故に感情を表に出さず淡々と敵を躊躇なく殺せる。そしてそんなカイちゃんが次第にメンバー達との絆を感じ、楽しいとか嬉しいという感情が芽生え初めて微笑んだ時、とても可愛いと思う。
レイさんは治癒能力を持っている為、非戦闘員のイメージが強いが、きっとこの世界に於いて彼は己の努力だけで戦う術を身に付けるだろう。彼にはそれだけのプライドと負けん気がある。
更に治癒も出来るならば実質不死身に近い。だからどんな怪我をしようとも、腕の一本くらい吹き飛んでも彼は戦いを止めないし、徹底的に相手を叩きのめすサイボーグのようなところがある。故に最も無理をするだろうし、ダークサイドに落ちそうなキャラである。それも一興。
シウミンはわたしが最初にEXOを覚えようとした時に「この子めっちゃ素早さの値高そう」という覚え方をした為、未だにわたしの中ではスピードスターである。
戦闘向きの氷結能力と持ち前の身軽さ、そして無駄な深追いはしない冷静な判断力。
言葉は少ないがEXOと言うキャラバンから去ったかつての仲間の事を一番心配しているのはシウミンかもしれない。
つまるところ何が言いたいか、というと、単純に余り深く設定を練らなくともこれくらいの妄想が浮かぶわたしの中二病っぷりが問題である。
これからも機会があればこの手の話はどんどん盛り込んでいきたいと思う。
アイドルがアーティストとして生きる事。
今更蒸し返す訳ではない事を明記すると共に、導入部としてこの記事を貼る事をまず許して欲しい。
全文を読んで頂けると分かる通り、彼も全面的な悪意で言っている訳ではない。
しかし勿論問題は多い、記事の通り他アイドルグループも作詞作曲を手がけている事、他者がBigbangに提供した曲に対する礼儀の面、またこういう事を言えば一部だけメディアが切り取って刺激的な面を強調して伝えるであろうと少し考えればわかる事。
こうして人々は見出しだけを見て『感じが悪い』と受け止め、結果的にアンチを増やし、多くの人がBigbangの楽曲から(善し悪しを判断する前から)目を逸らすようになった。
人に謝る事でもないが、元々彼ら、彼がラッパーであり人に媚びない事を考えても『もう少し上手い言い方があったのでは』とわたし個人は思う。
この件からわかる事は、K-POPというレースで実質ほぼ先頭を走っている彼でさえアイドルグループが作詞作曲に関わっているのを知らなかった、つまり一般の認知度は更に限りなく低いという事。
そしてわたしが最も懸念として浮かんだのが『彼に憧れている子達のフラストレーション』である。
今のK-POPグループはちょうど学生の頃にBigbangを見て衝撃を受けた世代で、G-dragonに憧れてこの世界に入った子も多い。
しかしどこの事務所もデビューできたからと言って自分のやりたい事をやらせて貰えるわけではない。グループとして活動しているのなら尚更。
無論10人が10人才能に満ち溢れてる訳ではないし、G-dragonになれる訳でもない、しかし
いくら作詞作曲をしたところで事務所側がそれを表に出すか否かを判断する。
そうしてストレスが溜まっていく場合も多いだろう。稀にインタビューなどでその想いが綴られているのを見ると心苦しい。
YGに在るG-dragonはその苦悩を知らない。
逆に言えばそういう子達は作って出すプレッシャーを知らないし、知ることが出来ない。
いい曲を作れば出してもらえる、という訳でもない、望むコンセプトで無いと言われればそれまで。
全くイメージにはないかもしれないが、Superjuniorも自作曲をSuperShow内で披露したりもしている。他グループも同様であったり、SHINeeや2PMのようにアルバムの表題曲をメンバーが手がけている事も多い。
今やアイドルがアーティストとしての活動をしているのはごくスタンダードな事であるにも関わらず、その伸びしろが切り取られているのも日常的な事になってしまっているのも現状である。
同時に各グループ、外部発注曲も『これぞ!』というコンセプトで上げられてくる為、その中で優れた曲を作ることはすべて自分達で作れる側よりもハードルは高いし、それをきっと本人達も自覚していると思う。
その点で、YGだけが優れている訳ではないがアイドルがアーティストとしても生きやすい環境が少しでも広まって、良いものを聴いて、見て、個々が切磋琢磨しながらスキルアップ出来るようになれば、K-POPはさらに大きく前進するのかもしれない。
推しが四番手だった話。
SHINeeというグループがデビューしたのは、わたしがK-POPという沼に入ってから1年近く経った頃であった。
新人アイドルグループというものが一瞬デビューしたかと思えば消えていくのが常で、唯一FTが珍しいバンド形式のアイドルとしてその芽を伸ばしていた頃でもあり、BigBangはまだまだスンリがリュックを背負っていた時期だ。
話はSHINeeに戻る。
Superjuniorの後輩ボーイズグループという事でわたしとその周りの友人達は色めきたった。
5人らしい。ヒチョルに似てる子がいるらしい。コンテンポラリーバンド(?)らしい。
そして衝撃のデビュー。
コンテンポラリーバンドと言うから楽器を持ってるものだと思ってた我らは、モサモサの男の子達がヌナノムイェッポなどと踊っている様に口数は少なかった。
待って、ダサくねぇか。
待って、真ん中の子の髪型がおかしい。
待って、待って。
しかしこの頃からやはり群を抜いてダンスのうまいグループであった。
そしてわたしが『この子は可愛いと思う』と贔屓目で見ていたのがジョンヒョンである。
K-POPがそこまでまだ浸透していない我らの中でやはり名前を覚えるのは面倒な作業で、その名前に『ヒョン』が入っている事から、彼は我らの間では勝手に『ジョン兄さん』と数年間呼ばれ続ける事になった。
なお、わたしは当時オニュとキーの区別が全く付いておらず、ここから4年後くらいに「わかった!わかったぞ!目が細いのがオニュで、目が小さいのがキーだ!」と自分なりに覚醒するまで長い戦いがあった事を余談として追記させて頂く。
そこから暫く、わたしはトンペンとして、VIPとして生きた。
SHINeeがLuciferを歌ってた頃くらいに冗談で「そうだなぁ、SHINeeがもっと大人になって…まぁあと5年くらいしたら応援できるかもねぇw」なんて言っていた事が本当に現実になるとはこの時は知る由もない(※この頃に漸くジョンがボーカル担当という事を知ったわたしである)(※もちろんオニュとキーの区別はついていない)
5人が日本デビューしてからもわたしは軽くMVを流し見する程度であった。
一度くらい見に行ってみようか?という話は何度も出たが、その度にわたしが遠征中であったり、友人が遠征中であったりとタイミングは一向に訪れない。
そしてその機会が漸く巡って来たのが2014年12月。わたしが関東に引っ越してきてからの代々木である。
去年のわたしは心身ともにボロボロであった。まぁ、なんかいろいろあったんだよ。
そんな暗闇にSHINeeは文字通り光を与えた。
何から何までカルチャーショックだった。
綺麗な男の子達が汗だくで全力で歌い踊り走り飛び跳ねる。
初めて君に出会った日が
新しいbirthday
わたしはFireを歌うあの子達を姿を見て号泣した。
そして決意したのである。
わたしはSHINee Worldになろう。
待たせたね、ジョンヒョン、随分長く、待たせたね。ヌナが来ましたよ。
その愛で完全になる為に
生まれてきたんだ
未来を照らし出して
今までの愚かな僕を焼き尽くしてよ
愛のFire Fire
新しいシャヲルの誕生である。
さて、ここまで。
デビュー時から物凄く水面下でずっと「ジョンヒョンが一番可愛い」と言い続けていたわたしである。
ここから始まる悲劇と喜劇はぜひ末代まで残そうと、そう思う。
わたしが最初からジョンペンである事に対して周囲は優しかった。
ジョンペンは得だと。
多分いらんジョンがわたしの元に集まってくるだろうと。
なぜならジョンペンは少ないからと。
またまた、何をおっしゃるのかとわたしは鼻で笑い飛ばしていた。
そんな訳はない、なぜならあんなに可愛いジョンヒョンである(※わたし基準)
わたしが新参だからとみんなどうやら少々馬鹿にしているようである。
しかしこの案件はYour Number握手会で事実というものをわたしに叩きつけた。
テミンさん持ってるなら、一枚でジョン二枚と交換できるんじゃない?
そんな悪魔が囁いたのである。
わたしは激怒した。
そんな訳あるか、いくらテミンさんが人気とて!ジョンとそんなに格差があるか!
しかし物は試しである、やった、できた、ありがとうございます。
いいのだ、何番手だろうと。
わたしはジョンヒョンが好きで誰よりも可愛いと思っているし、それはわたしの中では事実なのだから。
そうしてわたしは今日も赤いタオルとクッションの中で微笑むジョンと共に眠る。
翼の生えたドルオタは恨まれるべき。
ドルオタは大きく分けて二種類に分類される。
自由か、否か。
わたしは前者に分類される方だ。
自由と一言で言ったが詳しく言えば、お金と時間が自由に使える側の人間という意味である。
一方後者は、家庭がある分お茶の間で楽しむ時間が大半を占める人であったり、仕事でなかなか休みが取れない、まだ学生だったり地方に住んでいて遠征がままならなかったりする人々と考えて頂ければいい。
元々はわたしも後者の人間である。
海外遠征など遠い世界の話で、特に実感も無いので行ける人は楽しんで来たらいい、とふんわりと思っていた。
しかしそこには僅かながら嫉妬は存在していて、時に同じ国に同じように生まれて少しの違いだけでわたしは行けない、向こうは行けるという思いは無意識下で存在していたと思う。
近頃よく『オタ活は無理のない程度が一番楽しい』という文言を見るが、ならば無理をしている我々のような人間は楽しくないのだろうか?無理をしてでも動いている我々は辛そうに見えるだろうか?
言い方は悪いがそれは大半が後者側の言い分で『わたし達は別に行けなくて辛くもなんともねぇし!』という叫びなのではないかと、これは本当に個人的な意見なので気を悪くされた方には非常に申し訳なく思う。
「金を使うペンが偉いわけじゃない」と言えど、事務所側からすれば金を使うペンの方がありがたい。本人達からしても一生懸命準備したものを見てくれた方が嬉しい。そんな事は誰しもわかっている事で、でも出来ない。
だから「〇〇君の家はスーファミ買ってくれたのに」「よそはよそ!うちはうち!」という理不尽さが無いとも言いきれないのではないかと、そう思う。
わたしとて自分が天井席の時はアリーナの者共を心底恨む。
わたしだって変わらず好きなはずなのに、いや、わたしの方が好きなはずなのに。
こんな理論は子供以下である事も重々承知の上、口には出さずに思うところもある。
「今日ペンサもらった」「今度サイン会に行く」上を見ればキリがない。だから結局嫉妬や僻みは超絶セレブにでもならない限りどこまでも付き纏う問題だ。
少なくともわたし達のように翼の生えたドルオタは、恨まれても構わないのだと思う。
けど、なるべくレポはするから、許してね。
あるドルオタの成長記録。
わたしがドルオタになったのは遡ること約20年前である。
中学生となったわたしは、りぼんとファミ通を卒業しMyojoを手にとった。
時は1995年、V6がデビューしBeat your heartなんかを歌ってた頃である(年号は適当)
わたしはKinkiとV6に夢中になった。
限られたお小遣いの中、各種アイドル誌のどれを買いどれを捨てるか、瀬戸際の戦い。
またCDもアルバムになれば月のお小遣いは全て消える。
中学二年生のわたしはBSで放送していたアイドルオンステージやその他の番組をVHSで録画し、それこそ擦り切れるほど何度も見た。
岩手県の片田舎の中学生にとって、コンサートというものは遠い世界の話だった。
住まいが生まれ育った北海道に移ってからもその生活はさほど変わらず。
雑誌を切り抜いてはファイリングする日々であった。
しかし高校生という少しだけ大人のステップに上がった途端に世界は色を変える。
アルバイト。それは勤労と引換に自由に使えるお金が出来る事を指す。
この頃になるとゴールデンタイムに「8時だJ」が放送開始、ドラマでは未満都市、KinkiのCDデビュー、嵐結成など俄にジャニーズ周辺は忙しくなってきた頃である。
わたしは初めて、真駒内アイスアリーナ(現セキスイハイムアリーナ)へとV6を見る為に向かった。
正直言うとこの時の記憶はもはやあまり無い。坂本くんの足が長かったなぁとか、スタンドの上の方から初めてキャアキャア声を上げた程度の思い出である。
無論高校生だけで宿泊など当時はほぼ許される事ではなく、バスで片道約3時間の道のりを1度のコンサートの為に往復した。
年にたった一度、スタンドから眺めたステージはとても眩しかった。
高校卒業後フリーターとなったわたしは20歳まで、年に一度コンサートへ行く程度の静かなるドルオタとして生きた。
その後札幌で一人暮らしになったわたしは色々経てジャニオタを卒業、人生初めての遠征に行く事となる。
ハモネプで一時一世を風靡したアカペラグループである。
しかし遠征と言ってもただ友達について歩くのみ、飛行機もホテルも全く任せきり。
友人はよく上手いことやってたものだ、とわたしは後に痛感する事となる。
そして今から8年前の2007年、わたしは当時25歳だった。
ここからK-popという沼に囚われ、人生すら変えていく転換期を迎える。
大量の友人達御一行と行ったSJの1stプレミアムイベント(翌日タッチ会)、そして遠征が不慣れな友人と二人寄り添って行ったBigBangのElectricLoveツアー、遂に初めて一人で飛んだLove&HopeツアーとAliveツアー。
次第に大胆になっていく行動力はここで鎖を外した。
G-DRAGONソロツアーの開幕である。
三十路に乗ったわたしは飛行機にも乗りまくった。こうなるともう怖いものはない。
BigBangの、誰かのソロがある度に新千歳空港のてんやで天丼を食べては悠々と飛行機の旅を繰り返した。
しかし、それが煩わしくなってきたのもこの時期である。
わたしはなぜ北海道に住んでいるのか。
関東圏に住めば、何もいちいち飛行機に乗らなくても良い。大阪だって名古屋だって新幹線で日帰りも可能になるのに。
それに今まで見たくても見れなかった他のグループやワンマンじゃないライブも行けるのに…。
引っ越そう。
こうして横浜に越して来たわたしは現在「もうちょっと東京寄りに住めたらドームから帰る時ラクなのになぁ、川崎あたりに住めば韓国遠征も羽田近くてラクなのに」と思い始めている事を、ここに記する。